昭和記念公園ハンドランチグライダー大会の歩み 1
2011.2.19の大会で50回目の大会を迎える昭和記念公園ハンドランチグライダー大会 の歩みをまとめてみました。 所々抜けている所もあるかも知れませんがご覧下さい。 |
1995.12〜2005.12
1995年 12月 第一回、ジョー.ワーツさんを招いての大会です。 TDKH(高月田畑滑空班)の富田さん、徳永さんがフライトビデオ を持ち込んでハンドランチグライダーのスポーツ要素を説明して会場の使用許可を得たと聞いています。 この功績が無ければ、今日の大会の開催は無かったと言えます。 写真は津森さん提供のR/C Soaring DIGESTからの抜粋です。 駐車場で機体を組むジョー.ワーツさんが写っています。 12月の大会なのに半袖です。 驚愕のランチ、サーマルの読みだったそうです。 |
1997年 8月 この頃はサンワがバックアップしてくれていました。 直貼り機、リブ組機、スチロールプランク機、全てオーバー ハンドで投げていました。 あこがれのウイザード350gもあるエルロン機です。 木村の画像もありました。 一番最初に組んだスカイウォーク翼を付けた自作胴の機体です。 |
1997年 12月 モスキートクラスが発足しました。 色々と知恵を絞って今から考えるとかなり重いメカで小さな機体を飛ばします。 上位入賞はミュー15でしょうか。 |
1998年 3月 |
1998年 6月 唯一、雨の中での開催となりました。 |
2000年 3月 高崎さんのハイアスペクト機です。 この機体に感動して図面を引きました。 当時飛ばしていたエルロン機、この機体は良く飛びました。 |
2001年 3月 ジョー.ワーツカップでの歴代の優勝者が刻まれたトロフィーがありました。 トレンドはHL−1シリーズ 低空で乱舞しています。 |
ここまでの写真は、渡辺さんと関根さん提供によるものです。 ありがとうございました。 |
2001年 8月4日 SAL機ではありません。 トレンドのハイアスペクト機です。 この大会の入賞機、左からHL−1、自作機、スペクター |
2001年 12月1日 ファイアーワークスが初お目見えです。 ですが上位にはオーバーハンド機、HL−1シリーズが入ります。 黄色い機体はミューですが、サイドアームで 投げています。 |
2002年 3月2日 この大会の入賞機、左はミュー15、右は自作機。 |
2002年 6月1日 サイドアームランチに特化した機体として高崎さんが考案した非対称型の機体が注目を集めました。 |
2002年 8月3日 サイドアームとオーバーハンドの比率、まだオーバーハンドの方が多いようです。 木村のEncore、堰合さんのAtlantis−3が並んで写っていますね。 |
2002年 12月7日 昭和記念公園に初上陸したDL−1です。 この後、台風の目になった機体ですね。 この大会でSAL専用機が初優勝しました。 機体はファイヤーワークス2です。 |
2003年 3月8日 46名の参加があった大会です。 Radinaが多く見られるようになりました。 ロングコートを翻してのランチ「マトリクスランチ」で話題になりました。 |
2003年 8月2日 ファイアーワークス3が登場しました。 |
2003年 8月23日 2003年の夏は延期分を含めて2回の開催がありました。 両大会とも、多くの参加がありました。 |
2003年 12月13日 この大会からラインジャッジが導入され、平田さん製作の旗が登場します。 この旗は現在も使用されています。 |
2004年 2月28日 |
2004年 7月3日 上位入賞がSAL機で締められました。 左から自作SAL機、それとファイヤーワークス3が2機です。 |
2004年 12月4日 Blasterが初登場しました。 息の長い機体となりました。 |
2005年 2月26日 この大会の入賞機は左からブラスター、DLA−2、ファイヤーワークス3でした。 |
2005年 8月6日 加納さんのSAL講座が開催されました。 |
2005年 12月3日 SG2のコピー機が登場しました。 |